溢れる想い無限大
4月15日から早いものでもう3ヶ月も経つ。
誰もが嘘だと言ったあの週刊誌の記事。
すばるが辞めるわけない。
デタラメ書かないで。
ツアーあるのに辞めるわけない(笑)
みんなが口々にそう言った。
私もその1人だった。
絶対に辞めるわけがない。
でもその日、私はこの世に「絶対」がないことを知った。
AM 11:00
夜勤だったので明け方に帰ってきて11時まで寝ていた。
メールをチェックするのが習慣だったので、その日もいつも通り、起きてすぐにメールのチェックをした。
関ジャニ∞のFC会員向けにメールが届いていた。
゙メンバーから大切なお知らせがございます。゙
文面を見た瞬間、
すばる、待って。
という思いが頭の中を埋めつくした。
緊張しながら届いたメールに記載されたURLを開くと
渋谷すばるが関ジャニ∞を脱退および年内でジャニーズ事務所を退所する
という内容だった。
心臓のバクバクが抑えられない。
緊張でお腹が痛い。
溢れてくる涙。
文章を読み進める指。
どれも抑えたくても抑えられなかった。
読めば読むほど、涙は溢れた。
全部読み終わって出てきた言葉は
意味がわからない
だった。
ぼーっとする頭と、起きたばかりで上手く動かない足を必死に動かしてリビングに向かった。
ジャニーズのファンではない姉と妹がすばるくんさ〜と声をかけてきた。
けど、私の気持ちを察してか、何も言わなかった。
Twitterでは受け入れられないeighterで溢れ返っていた。
そんな中で、テレビで会見がやってるというツイートを見てすぐにテレビをつけた。
そこには、スーツを着てマイクを持って涙目で話すすばるがいた。
怪我をした章ちゃん以外の関ジャニ∞のみんながいた。
あぁ、現実だ。
私には辛く残酷な現実だった。
文章を読んでも会見をみても私には理解できなかった。
理解したくなかったのかもしれない。
理解してしまったら、彼が居なくなるのを認めるようなものだ。
私は何がなんでも認めたくなかった。
そんな自分の考えとは裏腹に、頭は情報を求めようとしている。
翌日の朝、学校の前にコンビニに行ってスポーツ紙を全部買いに行った。
どの新聞も大きく取り上げていて、もっと苦しくなった。
学校に行くのが憂鬱だった。
ちょっとよかったのは、まだ入学したてで私が関ジャニ∞のファンだと知ってる子がほぼいなかったこと。
毎日が憂鬱で涙が突然溢れることもあった。
私は7人が大好きだった。
7人の空気感が大好きだった。
7人の笑顔が大好きだった。
7人がひたむきに努力をする姿が大好きだった。
7人の歌が大好きだった。
7人が演奏するバンドが大好きだった。
できることなら、今からでも
やっぱり関ジャニ∞おりたいわ
って笑ってほしい。
夢に見ても叶うことはないけど、夢でいいから見させてほしい。
私は渋谷すばるが大好きだった。
くしゃくしゃな笑顔が可愛いすばるが大好きだった。
下ネタを話す時の嬉しそうな表情のすばるが大好きだった。
赤いコードを握りしめて歌うすばるが大好きだった。
力をくれる歌を歌うすばるが大好きだった。
音楽に対する熱い情熱を持つすばるが大好きだった。
eighterと叫んでくれるすばるが大好きだった。
私はすばるの歌に生きる力をもらいました。
すばるに出会った1年前、死ぬことばかりを考えていた私の耳に届いた歌は「あ」だった。
すばるの声で歌われる「あ」が大好きだった。
一度でいいから、ツアーで生で聴きたかったよ。
eighter歴が短い私でさえこんなに受け入れられないのに古参の人はきっともっと辛いんだろうなぁ。
すばるが関ジャニ∞からいなくなったって
すばるがいた歴史が消えるわけじゃない。
すばるがいた14年間は嘘じゃなかった。
ジャニーズにいた21年間は嘘じゃなかった。
紛れもない事実。
もし、すばるがジャニーズ事務所に入ってなかったなら。
こんなに大勢の人が辛く悲しい思いをすることはきっとなかった。
でも、すばるがジャニーズ事務所にはいってなかったなら。
すばるの歌声が、音楽に対する情熱が、こんなに多くの人に伝わることは無かった。
そう思うといてくれてよかったと心から思う。
それでも私はあなたがいた関ジャニ∞を忘れないから。
一生忘れません。
いつか、すばるが海外ですごい人気のアーティストになって、将来の子どもたちにすばるはアイドルだったよって言っても
信じてもらえない存在になってね!
横山裕、渋谷すばる、村上信五、丸山隆平、安田章大、錦戸亮、大倉忠義
この7人がいる関ジャニ∞を大好きになれてよかったです。
出会えてよかったです。
すばる
私に生きる希望を与えてくれてありがとう。
あなたに出会えて幸せでした。
私に生きる希望を与えてくれたあなたの歌がまた聴ける日を楽しみにしています。
どうか幸せに。